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コーナーがいっぱいになってきたので
Dr6関係は「Dr6バンド紹介」
音楽関係は「I Love Music」
アメリカ農業体験記は「マイ ストロベリー ロード」
百姓からみた自己満的政治経済評、文化論は「自慰放談」

というタイトルをつけることにする。

なおDr6からスピンオフしてご好評頂いているキーボードの〇さみのコーナーに関しては「今日の〇んこ」にしようと思ったが、それではあまりにも失礼なので「〇さみのグッドバイブレーション」にすることにする。


今日のテーマはアメリカ農業体験記「ストロベリーロード」を書くに当たってだっ!

約30年前アメリカに2年間いたが、その頃の話しはあまり人にしたことがない。
自慢話だと思われるのがやだったからだ。
だがこの年齢になり、忘れないうちに書こうと思うようになった。

よく聞かれるのが
「農業の勉強になりましたか?」
だが答はNoだっ!

いくつかためになったが一番学んだことは、
「日本とは何か?」
「日本人とは何か?」
だった。

その当時、日本にいるとアメリカに関するテレビ番組、ニュースや洋楽、洋画が盛んだった。それらに興味を持っていたからアメリカに行く前はカルチャーショックは受けないだろうなぁと思っていたが、大間違いだった。
毎日がカルチャーショックの連続だった。

日本と地球の反対側にあるから反対のことがいっぱいあった。

例えば、赤ちゃんを俯せに寝せる。
赤ちゃんをおんぶせず胸側で抱っこ状態。
赤ちゃんの時から一人部屋。

人間の出だしである赤ちゃんからこのように日本と違うのであるから死ぬまで違ってくる。

黒人バプテストなど葬儀で陽気な歌を歌い
「なんで最期まで違うんだーっ?!」
と思わず叫びたくなる。

食事のとき日本は器を持たないと行儀悪いがアメリカは持つと行儀悪い。

私は風邪をひいたら風呂に入るなと言われたがアメリカではシャワーを浴びろと言われる。

授業は日本は先生が入れ替りくるが、アメリカは生徒が科目毎に先生の教室を移動。

日本ではアメリカのニュースが必ずトップニュースなのに、アメリカのニュースには日本のことは滅多にでない。

日本にいるときはこのようにアメリカのニュースが毎日流れるから、錯覚してアメリカと対等になったような気がするが実際アメリカに来ると日本のニュースは皆無に等しく、一般人はほとんど日本をしらない。
日本と中国の区別がつかない。
「貴方の知っている日本人は誰っ?」

尋ねると皆
「ブルースリー!」
と答え、そのほかの名前はまず出ない。

この感覚はわかりやすく説明すると、日本人がカリブ海の無数にある小さな島国のひとつを知ってるかと聞かれているようなもんだ。

こういう体験をするたびに私は(日本では〇〇なのにアメリカではその反対だぞっ!)と思うのであった。

また、目に見えるものだけではなく、目に見えない考え方とか抽象的なものも反対のことが多かった。

一例をあげるとレディーファーストだ。

これは日本語にすると女性を先にいかせるという意味だ。

アメリカにいるときは違和感を感じたが、いまではこの習慣が身について、必ず女性を先にいかせるようにしている。

また日本人には美徳とされることがアメリカでは反対に悪徳となりえることもあった。

そのたびに(日本では〇〇なのに、日本人は〇〇なのに)
と思った。

つまり、私はこのとき初めて(日本とはっ?、日本人とはっ?)ということを意識したのである。

これがすごいショックだった。

私はアメリカに行く前、日本とは日本人とはこういうものだ。とわかっているつもりでいた。

わかるはずがなかったのである。
日本からでたことがなかったのだから。
ほかの国に行ったことがないから、比較のしようがない。
複数の国に暮らしてみて初めて、その国がどういう国かわかってくるのである。

テレビなどの、情報、映像をみてわかった気になっていたのである。

テレビでは実際その場所の空気、臭い、広さなどは感じることはできない。

これ以来、私は見聞きしたものも大事だが、実際、体験するとまた全然別物
これもわかりやすく説明すると、エロ本とエロビデオほどの違いがあるんだなぁと思うようになった。

この感覚が新鮮な驚きだった。
仮に日本だけに住んでいることがひとつの目でものを見ていることになるなら、ほかの国にある程度暮らしたら、両目でものを見ている感覚である。
つまり遠近感がでてくるのである。

井の中の蛙を肌で実感した。(勘違いしないでもらいたい。私は何も日本からでたことがなく外国にいったことのない人は井の中の蛙だっ。といってるのではない。自分自身と真正面から真剣に向き合いながら生きてない人は井の中の蛙だと言ってるのだ。そういう意味では私はまだ井の中のおたまじゃくしである。)

これは行く前には想像もしなかったことである。
またこれが日本人用にお膳立てされた語学留学でも駄目だったであろう。
農業は日本と同じく大切だがアメリカでもいわばあまり日の目を見ることのない世界。日本人対応型プログラムでもなんでもなかった。
それが反ってよかった。

二つの国に住んでみるということは、後の人生にいい面と悪い面が二つ生じてくる。

いまこうして日本に暮らしていて
いい面とはどちらの国の人の考え方もある程度理解できるということだ。
つまりひとつの国に住んでいると生まれてから今の自分になるまで得た教育、知識などに基づいて物事を判断、考えるようになるが、その枠組みからでられずそれに個室しどうしても固定観念などできてしまう。
が異国にしばらく暮らすことにより、自分のこだわりなどがとれ、やはり「なんでもありで、どうでもいいんだなあ」
という考え方になってくる。
つまり視野が広がる。(だが実際は私はいまでも自分ほど視野が狭い人間はいないなぁと思っている。)

そうすると
文化の違いでいざこざ、すれ違いなどが起こるなどということを見ていると、ただの考え方の違いなのに(双方ともそれが理解できなくて残念だなあ、理解できるのは俺だけかぁっ)
と自己満の世界に浸る。

悪い面とはその逆にその二つの文化の違いの板挟みになり、ちょうど時空間のねじれに入り込んだ状態とでも言おうかっ、二つとも肯定も否定もできなくなるのである。
これが不器用で真面目で繊細な私には臨機応変に対応できず、悩むのである。

例えば、アメリカの普通の自己主張はここら辺では理屈こきになってしまう。

いいと言われることが悪く、場所が変わればその逆になるのだ。

これも考え過ぎると自分自身を肯定も否定もできなくなるから私みたいに真面目だとアイデンティティの崩壊に繋がるから逆に考え、この場合も裏でも表でもいいということは、つまりなんでもありなんだなと考えるようになり、前は(これはいけない。あれはいけない。)と思っていたが反ってあらゆるものを受け入れられるようになり、気が楽になった。

物事を知れば知るほど、自分の小ささを実感し、本当は何にもわかってないんだなあと思うようになった。

帰国してからも、いろんな国からきた人と話す機会に恵まれ、いろいろ話した。

国によって考え方、文化、宗教などが違うからとても興味深い。

彼らと話すと(彼らはこんな風に思っているのか。私はこう思うから私はこういう人間なんだなあ)と、自分発見にもなる。

それがどうしたといわれれば、それまでだが、私はそれが趣味なので、しかたがない。

だから、私の中にはアメリカ的感覚が少し入っているから、日本人が正しいと思っている見方の観点から少しずれるのである。

環境保護、社会福祉、世界平和などに対する考えも少しずれる。

例をあげると
日本人は「ビニール、プラスチックは分別ごみ、資源を大切に」
などというがアメリカ人などは日本にくると、なんで飴玉がビニール袋に入っていて、さらに中で一個々々ビニール袋に入ってるんだー!なんて環境に悪いことしてるんだー!(アメリカでは普通飴玉は昔の駄菓子屋のガラス缶などに入っており、グラム単位で価格を決める)と一方では思いながら、石油が安いから日々の暮らしで湯水の如く使っている。
私からみれば、どっちもどっちであるが、双方とも自分の体験による知識からしか物事がみれないから客観的に見ていると実に滑稽だ。

もうひとつ
例えば憲法九条守ろうなんて、大笑いである。
日本人だけであろう。こんなナンセンスは。
私は渡米直後、よく道がわからなかったからシアトルの町のど真ん中で地図を広げ、見ていた。

二年後、帰国時、シアトルの町のど真ん中で地図を広げて路上で立っていた日本人の女性ツーリストを見たとき、(なんて危ないことをしてるんだ。いいカモだぞ。鳥の雛が無防備で食ってくださいと言ってるようなもんだぞーっ!襲ってくださいと言ってるようなもんだぞーっ!)
と感じ忠告してやろうとした。
が、思いとどまった。
(あれは2年前の俺じゃないか。あのときの俺なら、人に忠告されてもこの人、何言ってんの?変な人?と思っていぶかしがるだけだろうなっ。)と思ったから、忠告はしなかった。

町で地図を広げて見ていたときの私はただやみくもに(戦争はいけない!)と思っていた典型的日本人で渡米直後の私は憲法擁護派だった。

二年経って帰国時の私は見事に、そんな幼稚な世界で通用するはずもない平和主義(もちろん世界平和は世界中共通に望んでいること)を貫く敗戦後のアメリカ主導の観念的平和主義教育を受けた日本のあまりの世界標準から掛け離れた平和思想が恥ずかしく感じる人間になっていた。

これは私が一年間、アメリカの海兵隊の基地のあるオーシャンサイドに住んでいた影響がとても大きかった。


さてさてっ、…長くなってしまった。
そろそろ締めくくる。
こんな、私であるがいま外国人に「私をどう思う?」
と尋ねると、皆口を揃え、「仕事至上主義のつまらない典型的な日本人っ。」
と答える。

私はそれを聞いて
(あーっ、よかった。)とほっと安堵するのである。


(おわり)

(反省…文が長すぎた。あらためて読み返してみると俺の文は「どうだっ!俺はすごいだろうっ!」いう自己中アメリカ人なら普通のことだが日本人には反感を買いやすい文に取られやすいなっ。やっぱりアメリカナイズされてるのかっ?やっぱブログやめようかなぁっ。…Mr.ito後はよろしく頼むよ!)

今日の〇んこ

リーダーに美容と健康のためには極太〇〇ブ〇ーターを使って毎日〇〇ニーしたほうが言いといわれてから毎日実践しているようだ。
この前会ったら、
「かさかさ肌がつやつやしてきてフェロモンでてきたよーっ!」
って、とても喜んでいた。
そのあと
「これから、やるのーっ。じゃーねーっ!」
と言ってプリウスで音も出さず去っていった。
無音の車に慣れてないから相変わらず、無気味だ。
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2011.02.24 / Top↑
モバログは大変です。またログイン失敗!
たぶん時間がかかるとだめなようです。
もうパワーがありません

人生、胸に山あり
股に谷あり!

話題変えます。
ここでひとつコーナーをつくりましょう。

私はいまから30年ぐらい前、19歳のときアメリカに2年間農業研修に行きました。
そのときの体験が忘れそうなくらい前になってしまったのでこのブログでちょっとづつ思い出しながらちょくちょく書いていこうと思います。

題して
私のアメリカ農業体験記
『ストロベリーロード』

プロローグ

1982年 南カリフォルニア

オーシャンサイド‥その名が示す通り海岸沿いにある街

そこから車で内陸部へ数マイル走るとカトリックのミッションがある。
イスパニア占領下の爪痕を色濃く残す古い教会である。

パームツリーの下でしばし休憩。
‥抜けるような青空に点々と浮かぶ綿菓子のような白い雲。
まわりは見渡す限り続くなだらかな丘。

そしてその丘全体が実はイチゴ畑であった。

イチゴの収穫期間は約半年にも及ぶ。
そして収穫期も終わりに近づくとイチゴが柔らかくなり、食用出荷からジャムなどの加工用へと切り替わる。

季節労働者のメキシカン達によって収穫され、トラックに荷積みされた加工用イチゴからは果汁が滴り落ちる。

それがあまりにも大量にあるため、真っ赤なイチゴ果汁がひとつの流れになり丘の頂上付近にとめたトラックから坂道の麓まで一筋のまるで血が流れているような赤い道をつくる。
それが、当時研修生としてそこで収穫作業をしていた私にはあたかもキリスト磔刑地、ゴルゴタの血の丘と重なり合い、なんとも言い知れぬ思いに浸らずにはおれなくなるのである。
私はその赤い血の道を「ストロベリーロード」と名付けた。


(つづく)
2011.01.30 / Top↑

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