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自慰放談(英会話編)

私はそんなに英語が解るわけではない。
極々、普通の人より少しできる程度だ。
何の英語の資格もないがボランティアで週一回中学初級程度の簡単な英語を教えている。
なぜ中学初級かというと私がその程度だからである。
私は洋楽、洋画(テレビ)が趣味で、英語に興味を持ちはじめた。
その延長線上でアメリカにもいった。
よく人から
「アメリカいったから英語ペラペラでしょ?」
とか言われるが、英語の勉強にいったのではない。
アメリカの畑に草とりにいったのだ。
というよりこの質問は愚問である。
私たちは皆、学校で英語を習ったのである。
私は言いたい。
「中学、高校と6年間もの長い間、英語勉強したから皆さんペラペラでしょ?」

私は日本語ベラベラの日系人農場主のもとで英語が一言も話せない不法侵入メキシコ人達とイチゴやトマトの収穫作業をした。

英語、英会話をマスターするだけなら日本にいたほうが遥かに有利だろう。

ではアメリカにいったほうが日本にいるより英会話関係で何をより学べるかというと、英語以外の事、考え方や習慣だ。

よくわからないが今度、小学校高学年から英語を習うらしい。
実に、馬鹿々々しい。
なんで皆さん薄々、バカバカしい、無駄なことだと気づいているくせに、誰のために何のためにやらせるのだろう。

害にはなっても、何のためにもならないだろう。

日本人が世界でもっとも英語が覚えにくい民族と言われるている。

別に頭が悪いわけだからでない。

前にも書いたが、アメリカは日本と真逆のことが多い。

つまり英語を学ぶということは日本人であるということを否定することに繋がるから、皆、無意識に覚えたがらないのである。

それが年少になればなるほど、そうなりやすいから、日本語と英語、どちかが正しいのか混乱するのである。

一人の人間が英語を話すときは考え方も英語モード、日本語のときは日本語モードとなり極端にいえば二重人格者になるのである。


特に私は趣味が分析で、異国文化を分析するために日本にいる異国人に率先して日本語を教えた。

人に教えるということは、同時にその人から学ぶということでもある。
10人の人に教えるということは10人から学ぶということだ。
だから教えることが一番勉強になる。
ただし、そのことが解っていればの話しだが。

私は外人(外国人ではない。まず日本語を教えると最初に必ず外人、外国人で議論になる。差別用語ではないと立証するためいろいろ調べなければならない。この時点ですでに勉強になっている。)に日本語を教えると必ず聞かれることがある。
例えば、寺と神社の違いとか、日本の伝統行事とかだ。

だからいちいち説明するため自分で調べなければならない。
だから普通の人より日本に詳しくなり、「西洋かぶれ」どころか「日本通」になっていくのである。

最初に、挨拶から教えるが最初から日本語と英語では真逆だ。
日本では
「お疲れ様ですっ。」
とよく言うが日本人は別に深く意味は考えてないだろう。
日本語を教える場合、ここからすで解説が必要になってくる。
一言で労をねぎらう言葉‥簡単にいうと、「仕事を疲れるまでしてあなたは偉い!」
という言葉だが
アメリカでは別に偉くもないし、むしろ世界的には労働は必要悪の感があるから、この最初の
「お疲れ様」
からすでに(極端にいえば)日本語では善、英語では悪である。
ではあるが別に言葉の成り立ちは普段、意識してないから、英語人が使ったとしても何も問題ないだろう。

ところが、これがまだ日本人の小学生にとっては話しが違ってくる。
赤ちゃんなら無意識に言語を抵抗なく覚えるが、小学生になると外国語を意味を考えながら学んでいくから、善悪の矛盾を感じはじめる。
大事な思想定着期にぶれが生じてくる恐れがあるのである。

次に
IとかYouとかという代名詞に進んでいくわけだが日本語は英語と違って、名前でいったり、主語を省略するとか、一つの代名詞が数種類あり、
例えばYouなら、あなた、君、おまえ、などだが英語はYouしかない。
あなたとおまえの違いは何だと聞かれ、あなたは丁寧でおまえは立場的に同じか下と教えると、

「テレビドラマ見てたら夫婦の会話であなた、おまえといってたから、やっぱり男尊女卑だっ!そういえば客を迎えるとき、主人は立って出迎え、妻は三つ指をつく。やっぱり男女差別だっ!だいたいなんで男を主人て言うんだ。女性を下に見ているっ!野蛮な国だっ!許せないっ!」
と上にのっている女に言われたり、

「なんで日本の生徒は軍服を着ていたり、丸刈りなんだぁ?囚人みたいだ。」
「何で軍国主義なのに軍隊はいないんだぁ?」
とか言われたりで、その度にやはり説明するため日本の歴史を調べたりする。

そして、
「日本人をどう思うか?」
ときくと、
「日本人は日本人をどう思うかときく。」
と答える。

「日本人と外人の違いは何か?」
ときくと
「日本人は日本人と外人は違うと思っている。」
と答える。


とこういう風なやり取りから日本語の授業が始まっていくわけだ。


しかし私が子供の頃、テレビや少年誌などで「漫画を見ると馬鹿になるぞっ!」と漫画は子供にとっての一番の害毒みたいにいわれたものだが、いま日本にくる外人の日本に興味を持つ一番のきっかけが子供の頃見た日本のアニメ(漫画)であり、海外からの高評価でアニメも日本で市民権を得たから、つくづく真逆である。

(おわり)

考えてみたら、これかく時間で確定申告作業かなりできたよなぁ?
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2011.03.07 / Top↑
自慰放談

バブルの頃ここらへん1000万円した田んぼは今は50万円でも売れない。
米が安いから、百姓を維持できず、土地を手放す農家が増えはじめた。
ある人は5万で売ったという。

たんぼはただでも維持費がかかるから売った人も買った人もメリットはないであろう。

ここらへんはいまの相場は一反(約300坪)10から50万円だ。

さあ、日本農業の崩壊の幕開けだ。

私は長らく農政というか、政治、経済に疑問をもっていた。

中学のころ、ロッキードで私の尊敬する田中先生が総理そうそう早々と失脚。

それがまずかったと思う。

私は長年、自分で日本のビジョン、つまりマイマニフェストをつくっている。

バブル期の政府の政策は私の反対を取り、あれが今でも尾を引いている。
一時は日本がマンハッタン島を買う勢いで、バブルがはじけ、借金まみれ。

ちょうど、ギャンブルで、かもに最初に大勝ちさせ、最後には身ぐるみはがすパターンだ。

小泉の時代はなんだったのだろうか。

蜥蜴のしっぽきりと同じで、何もしないで金だけ入るシステムを作り上げた頭だけが何の損失もなく生き残り、実際日本のために一生懸命働く中小企業がバタバタと潰れていく。
多くの町工場主が自ら命をたった。

小泉政権っ。時だけが虚しく過ぎた空白の意味が全くない時代だった。

我慢だけさせて我慢損である。

要約、政権交代で希望の光が見えたかに思われたが、すでに政権担当能力のない、まるで幼稚園の集団になっていた。


先日、たんぼの値段の話しを〇〇食堂でしてたら、ラーメンを小指を立てながら食ってたワンコが何やらもぞもぞし始めた。

私は思った。
(なーるほどっ。さっきからバブル、バブルと言ってるからバ〇ブだと思って、下の口から涎を垂らしはじめたなっ。)

うちのワンコはパブロフの犬である。

(おわり)
2011.03.06 / Top↑
私の冬の楽しみを一つ紹介しよう。

私の部屋は冬、寒いと氷点下になる。

キッチンの冷蔵庫を開けると暖かい風がでてくるから、冷蔵庫がヒーターになりえる。

そんなとき布団に入り、体全体を布団にもぐすが、手だけ出して外気に触れさせておく。
しばらくすると、手が寒さで冷えて麻痺し手の感覚がなくなっていく。

そうしたらその手でオ〇ニーをするのだ。
自分の手じゃないみたいだから、人からやって貰ってるみたいで気持ちいい。

ただ問題がある。
手が冷たいため、〇ンポが縮んでいくのでなかなかいきにくい。
そうこうしているうちに手の麻痺が回復し、結局、普通のオ〇ニーになってしまうのである。

私の冬の風物詩だ。

ただ少し危険を孕んでいる。

手を長く氷点下の外気にさらしていると手が凍結し壊死してしまう恐れがある。

一度、手を出したまま朝まで眠ってしまい、もう少しで手を切断しなければならずギタリスト生命が絶たれるところだった。

ギターとオ〇ニー。‥この二つが私の人生の糧、両輪であるが、
なかなか両立させるのは難しい。‥?
ああっ、こんなこと書いてる場合ではない。

昨日の続きである。
昨夜は書いてるうちに眠ってしまった。


ライブ会場内に通る声の出し方だが、「気功」の例をあげて解説しよう。‥

‥腕を地面と平行に水平にあげまっすぐのばす。
その腕の手首あたりを人が上から押して、その水平の腕を下に押し下げようとする。
水平に腕を上げた人は押し下げられないよう腕を水平にキープするようにする。

だが相手の力に負けて腕は下に下げられるだろう。

今度は水平に伸ばした腕の先端がはるか向こうのほうまで伸びて続いてるとイメージする。

そしてまた相手に腕を押し下げさせる。

同じ力で押し下げようとしても今度はなかなか下がらない。

これは「気功」の初歩である。

声に応用する。

自分がある会場で歌ってるとする。

奥に座っている特定の人に声を聞かせたいとイメージして歌うのである。

試してみてくれ。

その人に普通なら届かないはずの声が届くはずである。

いや実際には届いてなくとも届いているとその人は錯覚するはずである。

なぜなら気は物理的にも心理的にも効果があるからだ。

今のは気功だが「気」と「オーラ」‥私は自分が人前で歌うようになってから、意識するようになりはじめた。

なぜならアマチュアライブなど見に行くと素人のステージ上での立ち姿はだいたい見苦しい。
ド素人ほど、ド見苦しくなっていく。

私もド素人であるが、特に私の場合はコーラスでほとんどただ突っ立っているだけである。
これが椅子に座っていたり、楽器を演奏していたり、マイクをもっていたりしたならまだいい。
素人でもビジュアル的にまだ許せる。

曲によっては全く歌わずただ一曲まるまる立ち尽くして終わるのである。

最初、自分のステージ上での姿を見たときはあまりの素人臭に愕然とした。

緊張してあがっていて、何もすることがなく間がもたないから、おどおどして見ていて痛くなる。

隣の〇川は、極度に緊張し腰も引けてひたすら後ろに引きこもりたい姿勢が見え見えで、私との身長差もあるせいか、もはや人間には見えない。
捕らえられた宇宙人か、まるせ太郎の猿芸に見えてくる。
だから私は本番前〇川にモデル立ちしろっ!といつも言うのである。
モデル立ちとは、操り人形が上頭部にある糸で上に引っ張り上げられるようイメージするのである。


前に前衛舞踏を見に行ったことがある。

こんなシーンがあった。

一人の人間=女の人がぽつりっ。ただステージ中央に立っているだけでなのである。
何も話さず、何も動かず。一分経過っ。‥二分経過っ。‥BGMもなく只シーンとしている。‥自分が飲み込む生唾の音が周囲に着座している人に聞こえそうだ。‥三分経過っ。‥私は最初なんだこれっ!と思って見てたが、あることに気づいた。
飽きないのである。

‥四分経過っ。

見ていて飽きがこないのである。

‥五分経過っ。

微動だにしないっ。
(ほんとうに人間なのかっ?)

‥私は鳥肌が立ち始めた。そして思った。
(これがオーラというものなのかっ?体から何か発散しているぞっ。決して目を離しちゃいけないと思わせるような何かが出ているぞっ!)

結局10分くらい突っ立ったまま、そのあと静々とステージの袖に引っ込んでいった。

ああっ張り詰めた緊迫感がぬけ、一気に肩が凝った。
ふーっとため息をつき、腰を椅子から前方にずらしへなへな状態。
(普通なら金かえせーっ!だ。いやーっ、恐れいった。ただ何もしないで立っままっ?‥人を魅了させるのは至難の技だぞ!)


私はそれ以来、オーラの分析をしている。


昨日、新潟駅南の弾き語りの店〇ポタストにいってきた。

この前の土曜日、〇ポタスト主催で常連八組がだいしホールでアマチュアコンサートを開いたのである。

その話しを聞きに行った。

実は私も見に行って30分くらいそこにいた。

自信もPP&Mのカバーで出演した店のマスターや弾き語りが好きな常連客がいた。

私はみんなに尋ねた。
「私はちょっとしか見なかったけど何が一番よかったですか?」

するとみんなは口を揃えて答えた。

「たかさんの登場シーンが一番よかったし、会場みんなに強烈なインパクトを残しましたよっ。」


解りにくいので、どういうことかご説明しよう。

私はもうステージが始まっている途中で会場に着いた。

そこは250席くらいの主にクラシックコンサート用の会場である。
弾き語りであるにもかかわらず、客席はクラシック会場のようにシーンと静まりかえり、誰も話し声をたてれるような雰囲気ではなかった。

しばらく会場の後ろの方で立って壁に寄り掛かりマーチン〇山のギター独奏を聞いていた。
一曲終わるごとに拍手だけが聞こえた。

客の数を後ろから数えたら150人くらいいた。

次は〇本の出番だ。普段私を師匠と読んでいる。

私は〇本の真ん前に座って、からかい半分でプレッシャーをかけてやろうと一番後ろから一番前の席に移動することにした。

〇本ステージに登場。主題はアコギ独奏だ。

中央に置かれた椅子に腰を下ろし、ギターを調整しはじめた。

私は〇本に見に来るとはいってなかった。

本人が私が見にきてると気づかないと意味がないから、シーンとしている会場の一番後ろから、真ん中の階段通路を一歩々々ゆっくり降りていった。

すると私の歩き姿を見て、いままでシーンとしていた会場がどよめき始めた。

私は一番前の席に着き貫禄たっぷりに着座した。

それまでギターをチューニングしていた〇本は私に気づきステージ上、第一声がお約束の一言となったっ。

「師匠っ!あんた何の用があってここに来たんですかーっ!」

それまでシーンとしていた会場は大爆笑!


後でみんなに私の登場シーンがコンサートで見たなかで一番よかったと聞いたとき、みんなはあまりの立ち居振る舞いのみごとさに、それは初めから仕込まれた演出だと思っていたそうだ。


私はそれを聞いて思ったがっ、‥皆さん、よく聞いてもらいたい。
私がしたことはただ、会場に遅れてきた客がみんなが座って静まりかえっている通路を通り一番前の席に座った。それだけである。

よくある光景である。
私は緊張して心此にあらずという状態の〇本に私が来たことに気づいてもらいたいために芝居がかった歩き方を最初したのだが、通路の最初のどよめきを聞いて気が変わった。

普段研究しているオーラの出し方を試したくなった。

そこで私はゆっくりと歩き試してみた。

見にきたみんなは言ってたが、
「薄暗い会場だったのに私が歩き降りてきたときまるで一筋のスポットライトが私に当たっているように見えた。」

と言っていた。

私は思った。

(オーラの出し方、少しはわかってきたかな。)

ちなみに唯一の誤算があった。

私が客席に座ったとき、隣には五泉で私と顔見知りの熟女の集団が座っていた。

その熟女達の前では私はそういうキャラではない。
普段は気配を消してなるべく周りの壁や木と同化し、ひたすら目立たなく、いるかいないかわからないよう心掛けている。
だから、なんだか私の恥部を見られたようで気まずかった。


(おわり)


2011.03.03 / Top↑
この前、私のブログを見てるよという方にお会いした。その人は、長々とブログを書くから私をよく喋べる人だと思っていたらしい。あまりにも私が喋らないもので、驚いていた。

おまけに、私は喜怒哀楽の表情がない。

いや、厳密に言えば長年の辛苦の末、怒と哀の中間の表情が固着してしまった。

あるとき、友達とラーメンを食べていたら、「なんで眉間に皺を寄せ苦虫をかみつぶしたような顔で食べてるのっ?まずいのっ?」

っと聞かれたから

「うまいよっ。これはとってもおいしいものを食べてて喜んでいるときの顔だよっ。」

と言った。そしてそのあと

「これがまずいものを食べた時の顔だよっ!」

っと表情をつくった。
そしたら友達に

「おんなじ顔だよっ。」
と言われた。


二十歳からの長い間、パニック障害でつらい人生を送っていたら、いつのまにか顔の表情の出し方を忘れてしまった。

いつも人から
「何か悩みがあるの?」とか
「怒っているの?」
とか言われるが、これが普通の顔の表情だ。人からみたら、無口で常に一言も話さず怖い顔をしてるから非常に威圧感があるらしい。

たぶん、予期不安があり、いつもびくびく何かにおびえていて、蚤の心臓だからその警戒心が顔にでているのだろう。


私の恐持て仏頂面に関連した話しでこういうことがあった。

私は昔あるとき飲み屋で飲んでいる友達をむかいに行った。

店はスナックだった。
私は酒が飲めないからそういうお店には縁がない。

ドアを開けた。

ドッ!っといきなりカラオケのやかましい音がタバコの煙りや宴会臭と相まって薄暗い店内から逃げ去る。

店自体は広くないが部屋が暗くミラーボールの強烈な光の粒が客の影を照らしだしているため明暗のコントラストがはっきりしすぎ目の焦点が合わない。
どこに友達がいるかわらかない。
私は目が慣れるまで、目を細めながら当たりをゆっくりと見渡し、しばらくそこに突っ立ていた。

するとパンチパーマの眼光鋭そうなバーテンがカウンターからボクサーのような、すすすーっと流れるような動きで私の体に触れる距離まで近づき、長身の私の胸元にある顔を上にあげた。
そして眼力を込めながら二人にしか聞こえてはいけないような声で言った。

「お兄さんっ。どこの組のもんだ?」

私は言った。

「いっ‥いやっ!と‥友達を迎えにきましたっ!」

するとバーテンの睨み顔がいきなり、満面の笑顔にコロッと変わり
「なあんだ兄ちゃんっ!それを先にいってくれよーっ!」

とポンと手を肩の上に置き、友達を大声でよんだ。

「お姉さんっ!男前が迎えにきたよーっ!」


ショックであった。

私はこのような体験を数回、繰り返していくうちに
(この恐い顔をなんとかしなければいけない)
と思い鏡の前でスマイルの練習をした。

割と爽やかな笑顔をつくるのに自信がついたので、とある機会にさっそく試してみることにした。(私は30代前半、この時期パニック障害、社会適応不安リハビリ目的のためダーツなどのいくつかのサークルに入っいた。)

最初は慣れてないから顔の筋肉が強張ってなかなかうまく行かなかったが、しばらくしたら慣れてきた。

そして(よし最高のさわやかスマイルをみんなの前で決めてやるぞっ!)

と思い「ニコッ!」と微笑んだ。

なんの反応もない?

(あれっ?おかしいなぁっ‥)

数回試したがなにも言われないどころか、なぜか怪訝そうな顔をされてるように感じた。

そのあと、今日のことについて数人から聞いてみた。

「今日の俺、いつもとどこか違わなかった?」

そしたら、このような答えが返ってきた。

「そういえば、なんか今日変だったねっ。」

「いつも無愛想なのに、いきなり(ニターッ)っとしたりして‥薄気味悪い変態おやじみたいで気持ち悪かったよーっ。‥」


‥そのこと以来、私は無理なスマイルはやめた。


携帯でブログを書くようになってから視力の低下に極端に拍車がかかった。
そのため前より一層目を細めなければ物がよくみえず、眼光の鋭さが増した。

最近は朝、洗面台で顔を洗ったあと、タオルで顔を拭い、自分の顔を見るため鏡に顔を近づけ覗き込むと、(ドキッ!)とすることが多くなった。
(あーこわかった。誰かが睨んでいると思ったら自分の顔だった。)

だんだんボケもひどくなり物忘れも激しくなってきたから、毎朝、自分の顔を鏡で見るときに、自分の顔の恐さに備える心の準備も忘れるようになった。毎朝、

(ドキッ!あーこわかった。そういえば自分の顔だった。)

を繰り返している。

(ああっどうしよう!
これからの私の人生は毎朝、
「あーこわかった。」
から一日が始まり、
老化でいくことなしのフニャチンをせんずりしている最中に眠りにつく、で一日が終わるのであろうか?)


むなしいっ。あまりにも‥むなしいっ。

「おおっ、かみよ。‥おまえはもう、私の人生において必要なくなるのかっ!」

(おわり)

まだ時間があるので

第二部スタート

私は元来、無口である。
一日平均話し時間は2分くらいだ。
そのほとんどが
「どーも」(Hi!とかExcuse-me!とかThankyou!の意味)
「んん。」(YES)
「んんん。」(No)
だ。

ほとんどうなずく程度だ。

普段、畑で一人でポツンと仕事していることがほとんどで人と合わないから会話はない。

気楽だ。

一日、何も話さなくても苦痛じゃない。


だが問題がある。

話さないと声帯が退化し声がでなくなるのである。

いざ、話そうとすると、3分で声が枯れてきて5分で喉が腫れてきて、10分後には普段話し慣れてないから息継ぎのタイミングの取り方がよく掴めず呼吸困難になり、意識が遠退いていく。

(仕事に行くので次回に続く)
2011.03.01 / Top↑
人間万事サイズが馬並み

by ドスタレフスキー

私の好きなことわざのひとつである。(ちなみに私は幼少のころ死んだ祖父に、悪さなどをすると「このがぎっ!どすたれっ!」っと木刀を振り上げよく追いかけられた。)

言葉の端々に重厚なる尊厳、風格がある。

私は人生の岐路に立ったときや困難に突き当たるとそれを乗り越えるひとつのすべとして頻繁に、このような自分なりにオリジナルをもとに変形させた故事や格言、ことわざを引用し、心の中で何回も自分自身に言い聞かせて気持ちを落ち着かせ心の整理をする。

例えば、激動する日々の生活において自分自身の方向性を見失ったときは

犬が西向きゃ尾は東
私がどの方向を向いても〇〇ぽは常に真上

とか、気ばかり焦ってなかなか思うように事が運ばないときなどは

首振り三年尺八年

とか


ここはなんとしても勝たなければならない勝負に出るときは
風林火山(孫正義のへぇーっ!ほーっ!)を読み上げる。

愛想なきこと 風の如し
目に突き刺さること 林の如し
口の臭きこと 火の如し
動かざること マグロの如し


本当に不特定多数の人が見る社会教育団体公式ブログにこんなことを書いていいのだろうか。

はなはだ疑問に思うが学問は疑問から生まれてくるからいいのだろう。


私は眠りにつく前ベッドの中で携帯でブログをかく。

ここ数日かかなかったらリーダーから催促の電話がきた。

「〇〇かいてる暇があったら、ブログかいてくださいよっ!」

そうなのである。

ブログをかこうと思って携帯をいじくっていると、知らず知らずのうちにもう一方の手で〇〇ぽをいじくっているのである。

だがこれは子供の頃からの癖だからなかなか治らない。
母親によく言われたものだった。

「こふとめわーいーっ!だんべなばっか、ちょしてんなやーっ!」

いつのまにかブログをかかずに〇〇をかいているのである。

私は思った。(リーダーは何故わかるのだ?)

リーダーは更に続ける。

「TV画面に出さないで、みんなのPC画面に出してくださいよっ!」

そうなのである。
リーダーは私がTV画面を上にして倒していることもわかるのだ。

リーダーはサイキックでもある。

ここ数日忙しくブログを書きながら途中で寝てしまった。

今日も午後からいままで百姓の集会に行ってきた。


私がブログで書きたいもののひとつに政治経済物や哲学、心理学などがある。

自分の家の経済、財政管理もできない私の書くことだからそんなに難しい内容ではない。もちろん政治経済の知識もないに等しいから詳しいことはよくわからない。

あくまでいち百姓から見て単純になぜだろうと疑問に思うレベル程度のことだが書きたいのである。

(これからの日本はどうなるのだろう。)

とか

(これからの世界はどうなるのだろう)

とかだ。


例えば、百姓をかれこれ30年してるが、どうも国の農政に疑問を持つ。

もちろん、農政がなければ農業自体成り立たず恩恵を受けていて有り難いことなのだが、例えば、

その時々でくるくる変わる場当たり的猫の目農政。

とても10年20年単位の先を見通して政策を作成しているとは思えない。

しかもその政策が幼稚過ぎてとても日本のトップ頭脳集団がつくったとは考えられない代物が多い。

「事件は現場で起きているっ!」

農業は田畑で起きているのである。

机の上で統計をもとに数字合わせしてゲーム感覚である。

私達はサバイバルゲームのいずれは殺されるキャラクターみたいだっ。

だからお上の時代から必然的に百姓は生かさず、殺さずになる。

農政(というより国政)が大きく変わるときは常に外圧が加わったときだ。



*実はこのあとながながと行政批判を5000文字書いたがログイン失敗できえてしまった。
昨日もその前も失敗!
携帯機能が低下してるぞー!

パワーがないから続きは後で

でも書いて消えた内容を要約すると
日本のTPP問題であるが、私の考えは、GNPに占める農業生産額の割合は微々たるもので、国が推し進める、時給率10%、農業者数今現在の10%に別に異論はない。
GNP中心に考えるなら日本に農業がなくてもなんの問題もないだろう。
ただ問題は日本が100%食料が外国からの輸入に頼るようになったら、食料が武器になりえ、日本はいとも簡単に崩壊するだろう。

また仮にTPPが阻止できたとしても農業者の高齢化、後継者なし、米価激安で数年後には日本に農業者はいなくなるからどっちにしても、今の形態の日本農業は崩壊するだろうと書いた。

一番の問題点は農政、行政、時代にそぐわない官僚、公務員制度、百害あって一利なしの補助金制度と書いたが消えてしまった。

消えてよかった。

ちょっと身の危険を感じた。

ニット、メリヤスが主要産業の五泉も不況かとおもいきや、意に反し昨年よりGNPが増加、どうやら貧富差も起きてきはじめたようだ。

(つづく)
2011.02.23 / Top↑

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