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このまま仕事が忙しいのにかこつけこのブログをこっそりフェードアウトしていこうと思ったら、催促の電話があったからまた書かねばならない。

それにしても何事においても三日坊主の私がここまで続けてこれたのは人生初の快挙である。

しょうがない。
今年一年間お願いしますと言うことであるから12月31日までやることにしよう。


今日は久しぶりに雨が降った。

私は雨が降るのを待っていた。

ジャガ芋が助かった。
もう少しで枯れるところであった。

里芋の芽もいっせいに土の中からでてきた。

ねぎもぐんと伸びた。

稲も色が出はじめ生き生きとしてきた。

百姓ならわかると思うが、川や地下水の水と雨の水では作物に与える影響は全然違う。

雨が降ったあとの作物の立ち姿が一回り大きく成長しているのである。

雨の水には天然の養分が含まれているからでだ。

だから雨水を受けて育った野菜は美味いのである。

私が農業研修に行ったときカリフォルニアは世界のサラダボールと言われていたが、あちこちに出向いていろいろな野菜を食べた。

日本にはない野菜もたくさん食べた。

だが、何を食べても大味で水っぽくあまり味らしい味がしなかった。

その一番の原因はカリフォルニアは雨が降らず、野菜に必要な水は全てイリゲーション(潅水)システムだったからである。


…また当時の日本の野菜も今の野菜と違ったように思える。

今の野菜は全体的に味が薄くなったような気がする。

例えば当時は人参嫌いな子が多かった。

私もその一人だった。

人参の味が強くてとても食べれなかったのである。

牛蒡(ごぼう)しかり、ピーマンしかり。

私がこう言うのは私が子供の時分、我が村は人参や牛蒡などの根菜類の産地だったからだ。

誰よりも人参、牛蒡の味がわかった。

どの野菜も味、香りがきつくそれぞれの個性を主張していた。

だが気づくとあるときから、どんな野菜も味がマイルドになり食べれるようになった。

まずい物がなくなったと同時にうまい物もなくなってしまった。



…次回からはアメリカ農業研修記「ストロベリーロード」 を中心に書く。

約30年前であり、当時とアメリカの農業も日本の農業も大分様変わりしたかもしれない。
当時話したなら驚いた事柄も今話したら別にたいした事でないかもしれない。

意味があるかと聞かれればあまりないように思われるがまだ記憶が薄れないうちに書こう。



今日のわんこ


「たまにこれやりませんかっ?」

ってビールのグラスをぐいっと煽るエアビール飲みのジェスチャーしながら言った。

みんなは

「いいですねぇっ。たまにやりますかっ。これっ!」

と同じジェスチャーをかえした。

「わんこっ。たまにやるか?これっ?」

と聞いたら、何も言わず目を潤ませながら、ただ

「コクリッ」

と小首をかしげうなずいた。

なにやらわんこの様子がへんだ。

顔を紅潮させている。
どうやら何か勘違いしているようだ。

あとで聞いてみたら案の定、〇ェラだと思っていたようだ。

ああっ、わんこよ

みんなに私の書いていることは事実じゃないフィクションだと言ってるそうだね。

よかったね。みんなフィクションだと信じてくれて。


(おわり)
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2011.05.29 / Top↑
今、ねぎを収穫しているが、次にでてくる葉っぱがねぎ坊主、いわゆるとうが立つだ。
とうが立った段階でねぎは商品としての価値がなくなる。

あと2、3日であろう。それまでの勝負だ。

この一週間は初物ずくしであった。

まずは蛇。
田植え時期になると冬眠から覚めてアスファルト道路でひなたぼっこしている。

まだ体が温まってないから逃げない。

久しぶりにやまかかしがひなたぼっこしていた。

土手道を下りる坂の途中にいたので、ブレーキを踏んでもなかなか止まらず間一髪で轢かなかった。

去年の今頃は軽トラで自分の田畑を横目に土手道を走っていたら蛇がいるのに気づくのが遅くなり、轢いてしまった。
それも三匹、並ぶように一本の棒のように川の字でいたから
「ぶちっ!ぶちっ!ぶちっ!」
と三連チャンである。
ああっ。蛇は気持ち悪い。


一昨日はテンである。
周りが草やぶだらけのたんぼで、水がたまるまで軽トラの中で休んでいたら、後ろの方でがたんと大きな音がした。何かと思ったらテンが軽トラの下からでてきてそのままたんぼの畦道を走っていった。
毛並みが黄金色で美しくかなり大きかった。

テンは胴が長いので走る姿は見応えがある。
そして今日はイモリである。
たんぼに水を入れようと、どうの栓を抜いたらイモリが出てきた。水の中のイモリのかたちがタトゥーそっくりだ。
見事なイモリだった。
また、私のたんぼに鴨がつがいで泳いでいた。
これもまた見事な鴨でだった。


実をいうと私は子供のとき動物が好きだった。
ペットとかではなくて、動物図鑑を見たりして世界のいろいろな動物を見て名前を覚えた。

昔、私の好きなテレビで野生の王国という番組があった。ナビゲーターがおじさんでサンディエゴ動物園の園長だったか忘れたが、そのためにアメリカにいたときサンディエゴ動物園にいった。

たまたまその時代、昆虫好きのドクトルマンボウや畑ムツゴロウが流行ったので影響を受けた。

動物や昆虫、生き物が好きだったので、アメリカでは日本にお目にかかれない動植物にたくさん出会った。

あとで書こう。


三年くらい前、安田橋の下あたりの畑にいて草取りをしてたら後ろで人の気配を感じた。
振り向いたら日本猿がいた。
それはいままでありえないことだった。

(なぜ、ここに猿がいるのだ?)

間近でみた猿は大きく顔が真っ赤でかなり獰猛そうな顔をしていた。
車は向こうの方に止めてある。
辺りはだれもいない。
私と猿だけである。

しかも猿は私を凝視し毛を逆立てウーウー言っている。

目を合わせないようにしてたら、しばらくしてクルリときびすを返し反対側の方へゆっくりと刈り取りあとのたんぼを歩いていった。
かなり怖かった。

アメリカでも似たような経験がある。

いつも農作業はまだ夜が明けないうちに農場に連れていかれ、辺りが目で見え始める頃、仕事がスタートした。

その日はたまたま私一人でスクワッシュ(ズッキーニ)畑のイリゲーション(潅水)パイプ外しを することになった。

フィリピン人のフォアマン(農場監督)の運転するピックアップトラックに乗せられ丘に囲まれた広い農場に下ろされた。

朝夜明け前、まだ辺りは暗い。

「仕事が終わる時間にまた向かえにくる。」
そう言い残し、私を下ろしてフォアマンは行ってしまった。

畑の周りはただの荒野だ。

周囲数キロは人は住んでいない。

また恐らく私の周囲数キロは人は誰もいないであろう。

ランチ用の手作りサンドイッチとパイプレンチだけをもってポツンと一人取り残されて明るくなるのを待っていた。
半砂漠の夜明け前は南カリフォルニアでもとても寒い。

そのとき
「ウォーッ!」

と聞き慣れた声が聞こえた。
(この遠吠えはコヨーテだっ!しかも近いっ!)
普段は夜、遠くからしか聞こえてこない。

(すぐ近くにいるぞ!)
明るくなり始めている目の前40メートルのところに逆行にこちらを向いて立つコヨーテの影がきれいに見えた。

(嘘だろっ!)

こっらを見ている。

(まさか、人間を襲って来ないだろうっ?!)

しばらく緊迫状態は続いたが目を合わせないでいると、先ほどの猿と同じようにクルリときびすを返し向こうの丘のほうへ消えていった。

私は怖かったがこの時は若かったので、まだ戦ったら勝てる自信があった。

極真空手が流行っていたからまね事をやっていた。

若い頃は勇気ダメシで3メートルはある屋根から飛び降りたりしたが、
今は1メートルの高さから飛び降りたら足が折れ、2メートルの高さから飛び下りたら、おそらくあちこちの間接あたりの骨が折れ、3メートルの高さから下りたら死ぬかもしれない。

今日ビニールハウスで脚立をかけ仕事してたら足を踏み外し30センチの高さから落ちてこの冬怪我した足首がまた張れてしまった。

もはや老人である。


(おわり)
2011.05.20 / Top↑
今夕飯を食い終わりブログをベッドの上で書きはじめる。
窓は閉めているのに外は一面水田があるため蛙の鳴き声がうるさい。
余りのうるささに気が狂いそうになる。
蛙はなぜ、何のために鳴くのであろうか?
自分達はうるさくないのか?


一昨日、今年の田植え作業が終了した。

最後の水田が難航した。
砂利取りあと水田だったからである。
部分的にぬかるみがあり私の水田は最悪状態だった。

少し説明しよう。
皆さんはたんぼなどの農地の下の層にある砂利をユンボー、ブルドーザーなどの重機で採取しダンプトラックが砂利を積んで行き来し、現場が大きな穴になっていて地下水に達し沼みたいになっている作業現場を見たことがおありであろう。
砂利を取りつくしたあと山土などを入れて埋め戻し再び水田を作る。
それが砂利取りあと水田だ。

砂利を採取し終えたあと埋め戻してブルドーザーで平らにならした水田であるからまだ地盤ができてない。
普通水田は耕運した下の地盤は硬いからトラクターや田植え機は水を張った水田でもスムーズに走るが、地盤がない水田は硬いところがないから、トラクターが重みでどんどん沈んでいく。
まるで底無し沼だ。
だから自重で沈む前に、前へと進まなければならない。
止まったらおしまいである。
トラクターがぬかるみにはまり、スタックして脱出不可能になる。
田植え機も同じだ。

何回か危険な状態になったがなんとか難を逃れた。

一時は危うく広いたんぼのど真ん中で田植え機もろとも底無し沼に沈みかけた。

田植え機の前輪が宙に浮いた。
斜め45度に傾く。
(このまま沈むのか?
嫌だ!こんなところでこんな形で死にたくないっ!)

まさに一面水を張った広ーいたんぼのど真ん中でタイタニック状態だ。

皆さんは降りて逃げればいいじゃないかとお思いであろうが、ぬかるみたんぼに入った経験はおありであろうか?
ひざまで沈んだら、まず普通の人は動けない。
脱出不可能である。

私は田植え機を走行状態にしたまま運転席から立ち上がり田植え機の前方の宙に浮いている部分に移動。
そのまま、四つん這いになり体を上下に揺らして体重をかけ私の重みで前方が下がる。

もはや田植え機のタイヤが接地する地面などはなく後部下側にある植え付け爪付近のフロート(浮き板)によってかろうじて底無し沼の上に浮かんでいる状態だ。

そのまま進行方向と反対向きになり四つん這いの状態で田植え機の鼻面にしがみつき後部タイヤが泥から抜け出すまで体を上下に揺さぶり続ける。

ぬかるみから抜け出すの必に死ではあるが、周りから見たらたんぼのど真ん中で田植え機と必死にファックしているように見えるだろう。

フロートのおかげで泥の中に埋没せず水面に浮いているような状態になりタイヤがタイヤ本来の役割ではなく黒船などの蒸気船の水車のような役目を果たし再び前に進み出し無事脱出っ。

タイヤが着く地盤がないから田植え機が水面を浮かびながら滑り進むという感じでこうなったら車というよりむしろ白鳥足漕ぎボートに近い。

(うんーんっ。俺様の手にかかれば車も船に変身する。並の農業人の運転テクニックならとっくにスタックしていたはずだ。俺も農業人としてとうとう達人のレベルまで来たか?!)

と帰り道、自らを誇らしげに思い自画自賛っ、気分は戦いに勝った戦士のよう。高揚収まらず全身泥だらけになりながら田植え機に乗り一般道を走行中感慨に耽るも、長い帰路の途中高揚おさまり、しばらくすると(よくよく考えてみるとなぜ二束三文の米と私の命を引き換えにしなければならないのかっ。)とふつふつと疑念が湧き興り妙に訝しげに思えてきて段々と腹が立ってきた。

すると先ほどまで感じていた泥まみれになりながらも激戦を征し戦場から帰還している兵士の気分は覚めふと我に帰る。
このドライブシーズンに私の真横を次々と高速で通過するピカピカに磨き上げられた高級車などを見ていると夕方近くになり急に冷え込み、ちんたらとしか進めないおんぼろ田植え機の上で寒さに震えながら鼻水を垂らし、かじかんだ手で鼻水を拭うも鼻水なんだか泥なんだか訳がかわかんない私が急にただの泥水の中を徘徊する泥虫に思えてきて泥の中に沈まなかった私の気分が観念の泥の中に沈んでいくのである。

(おわり)

「去年は田植え機ぬがってしょもだどもこどしはぬがらねがったうぇーっ!」
2011.05.18 / Top↑
今日で半分田植えが終わった。

朝からだしの風が一向にやまず、いまも台風並の風がふいている。
田植え時期になると必ず強風がふく。

今日田植えをしたが、強風がふくと、たんぼの水が風に押され、風上はたんぼの地面がでて陸になり風下は水でがぼがぼで海になる。

昔式の中古の畦塗り機で作った畦は波で洗われこそげ落ち破壊され、昔式の中古の田植え機で植えた苗は波で揉まれ地面から抜けて風下のすみの水面に貯まる。

陸になった苗は風にやられ白く変色する。

ああっ。金がないから中古しか買えず、性能が悪いから苦労が無駄になる。
貧乏の悪循環である。

ああっ。忙しくてブログが書けない。

書こうとすると、うとしこして寝てしまう。
環境映像のせいだ。

環境映像といえば一昔前はレンタルで借りたビデオを見ていると
(あれっ?これ前に見たことがあるぞっ?‥しまった!これは前に見たやつだ!ああっ。パッケージにつられてまた同じビデオを借りてしまった!
なぜ前に見たと覚えてなかったんだ!
老化による記憶力の低下かっ?)
とショックを受けたものだが今では借りるときパッケージを見て
(おーっ!これはすごい!借りよっかなぁー。‥まてよ?前借りたかもしれないぞ?でもさだかでないからとりあえず借りてみよっ。)
と借りてうちへ帰って見たら
(しまったーっ!これは前二回見たやつだー!)
と三回くらい同じ物を借りたりするのが普通になってしまった。

私は
(まてよっ?これは単なる老化による記憶力の低下ではないなっ。
これは自分の好みの刺激的なパッケージを見た途端、記憶をつかさどる脳に必要な血液が下腹部に移動し、それがために引き起こされる一時的な記憶喪失っ。ブラックアウトだっ!)
とまた脳の未知なるメカニズムを発見してしまった。

私はこの現象を「パスカリの原理」と名付けた。

話しはかわるが
ああっ。
震災から二ヶ月がたった。

原発はまだ、予断を許さない。

大量の水で冷やすから、放射能水の置場がなくなり海に垂れ流すしかない。

一体どうなるのだろう。

放射能を浴びると性物が巨大化するそうだ。
鯨がゴジラになるのだろうか?

ちん〇に放射線当てようか?

ああっ。
仕事ももうすぐ一段落するし
そろそろ来週あたりからアメリカ農業研修体験記「ストロベリーロード」を書こうかっ。


一昨日の夜、今期初の英会話をやってたら授業中、計画停電がある日は講座は中止になるというお知らせが届いた。

夜開かれるプロの英会話スクールやそのほかのアフターワーク関係の職業の皆さんは困るだろうな。

前、都知事が言ってたっけ。
節電のため自販機止めろって。
路上に自販機があるのは日本だけだって。
なぜ日本にしかないか理由は言ってなかったけど、言えないんだよ。

まさか、日本以外の国に自販機があったらすぐに中のお金が強奪されるなんて言えないだろう。

アメリカに住めばわかるよ。

日本は治安がいいよ。
でも、それがいいことかな?

自由に取れるのと取れないのの違いでしかないんじゃないかな?

ポジティブな治安のよさじゃなくてネガティブな治安のよささ。


‥国は本当に節電する気あるのかなぁ?

誰も言わないから言うけど、真っ先にやることはデイライトセイビングタイムだろっ。

アメリカに住めばわかるよ。

時間設定を人間が活動する時間に合わせるんだ。

例えば今、四時半には明るくなるから、二時間くらい時間を早くずらして午前5時を午前7時にするんだ。

そしたら今より暗くなるのが二時間遅くなるよ。

これが本当の太陽エネルギーの活用だよ。

だいたい四時には明るくなるのに、7時まで寝てるなんて三時間の明るさは全くの無駄だよ。
無駄に明るい人とおんなじだよ。

でもサマータイム導入、以前日本でもやったんだよ。

失敗したよ。
日本人は明るいうちに仕事を終えるのに罪の意識を感じて、サマータイムになったら労働時間が増えたと誰も歓迎しなかったんだよ。

ああっ。
自家発電しよーっと!

(おわり)


このブログを書いたあと寝てたら、12時頃またわんこから嫌がらせの電話がきた。

つっけんどんに意味不明なことを言っているから最初(酔っ払っているのかな?)と思ったがどうやらそうではないらしい。
電話の向こうからブィーーーッとモーター音が聞こえてくる。
(またやってるな。〇乱だからしょうがないか。)

わんこは重度のバ〇ブ依存症である。

いますぐ専門家からカウンセリングを受けリハブで長期入院療法をしないと手遅れになるかもしれない。


2011.05.12 / Top↑
そうこうしているうちに、携帯画面の鯉のぼりも消えてしまった。
鯉のぼりといえば、子供の頃、我が部落では鯉を飼うのがブームになった。

錦鯉などの色鯉ではない。

ただの(食用)鯉だ。

かといって食べるわけではない。

ただ単にそれが流行りだっただけのことだ。
いまは家の裏にはビニールハウスがあるが昔は蓮池があった。

だいたいどこの家にも蓮池があってそこに鯉を飼っていた。

あるとき祖父は一匹一円の小さい小さい毛鯉を千匹買ってきた。そしてそれがどんどん大きくなり一般的に知られる鯉の大きさになった。

蓮池の水は農業用水から入れたが、稲の成育期間しか流れてこない。

池の水が涸れると地下水を汲み上げエンジンポンプで水を勢いよく弾いた。

ちょっとした滝である。

池面から放水管の先まで数メートル、高さにして2メートルくらいはあっただろうか。

放水すると、驚いたことに鯉はその水を伝って滝を上ってくるのである。

私はその勇ましい光景をみて子供心に鯉は滝を上り、竜に変身するゆわれはここからきたのかもしれないなと思った。

放水された小滝を伝って池の端の地面の上にセットしてあった放水管の先までたどりつくと、鯉たちはその後バタバタと1メートル下の地面に落ちていった。

そして地面でピチピチ跳ねていた。

凄まじい勇者達が苦労して逆流を遡り、たどり着いた先が地面の上とはっ。 ‥土だらけになり粉をまぶしたような鯉をみてなぜかやる瀬ない気持ちになった。

なお鯉達はその後、凄まじい寒波にみまわれ池の水全体が凍りつき全員凍りの中のオブジェと化し凍死した。

それをきっかけに数年来続いた我が家の鯉ブームは終わりを告げた。

‥鯉で思いだした。

アメリカに行ってまもないときである。

ワシントン州の真ん中あたりのモーゼスレイクにいたときだが、そこの景色は何もないただの荒野だ。

砂漠に近い。

そんな荒野に湖が点在していた。

あるときバスでフィールドトリップにいって、ある湖のほとりでバスをとめ小休止した。
湖面をみていたら、何か魚らしきものが跳びはねた。

魚らしきものと言ったのはそれが物すごく大きかったからだ。

最初、イルカが跳びはねたのかと思ったが、何回かあちこちで跳びはねているのを見て、すぐにそれが鯉であることがわかった。

なんであんなに大きい鯉がいるんだ?

アメリカは何でもビッグサイズなのかと思ったが、アメリカ人は一般的に鮭やマグロ以外の魚を食べないし、捕らない。
だからほとんどの野生の魚は長寿をまっとうするのである。

日本の魚はだいたい大きくなる前に捕獲されてしまうのである。
それにしても最終的に成長した鯉のサイズがあれほどになるとはっ。‥子供の頃、遠足で三ノ宮へ大きい鯉を見に行って以来の衝撃であった。

日本ではあのような光景を目にすることはまずないでだろう。



今日のわんこ

昨日、わんこからメールが届いた。

「団鬼六先生がお亡くなりになられた。」

これだけしか書いてない。

相当、ショックを受けたのであろう。


(おわり)
2011.05.07 / Top↑
ゴールデンウィークの期間中、私にキックとパンチの雨あられを浴びせ続けたケンチャンが今日昼過ぎ、帰っていった。

いやはや、まさに台風一過であった。

いままでケンチャンは帰るとき、妹が運転する車に乗り込むと、見送りの家族に対して妹から言われ儀礼的に笑顔で微笑んで
「バイバイっ!」
と無関心げに手を振り車で去っていく光景が普通であったが、今回別れがわかるのか車に乗りこむとチャイルドシートにうつぶせになり顔をうずめ泣いていた。
顔を隠して、見せようとしない。

しょうがないから、そのままの格好で車は玄関の私たちを残して走り去った。


その後、私は午前中の続きの里芋植えにいった。
畑全体をビニールマルチで覆っているから畑が太陽を照り返し、すごく暑い。
今日一日で顔が赤く日焼けしてしまった。

暗くなっていま帰ってきたが家はケンチャンが来る前のもとの静けさに戻っている。

一抹の淋しさを感じる。

家に帰るとすぐに風呂に入った。

首元が日焼けしていてお湯に入るとヒリヒリするからそーっと首を潜した。

(ああっ、極楽極楽っ!)

湯舟に浸かっているとふと一瞬、甲高い子供の声が聞こえた。

いや、聞こえたような気がした。

ああっ。家のどこかにケンチャンがまだいるようだ。

その後、立て続けに何回もケンチャンの声が聞こえてきた。‥ような気がした。


私はもう一度、声を聞こうと湯舟の水面に口まで浸かり、耳を澄ました。

(誰の声も聞こえてこないっ。‥ケンチャンの声らしきものはテレビの音だったのか?)


私は湯舟に入ったまま少し窓を開けた。

いきなり、うるさいくらいのかえるの鳴き声が聞こえてきた。

(ああっ、たんぼに水を張り始めたから一斉に鳴きだしたなっ。)


体を洗うため、湯舟から上がる。

頭から洗面器でお湯を被った。

(うっ!!‥あっっちぇー!)

頭のてっぺんが日焼けしてたの忘れてたっ!

(おわり)
2011.05.05 / Top↑

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