上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
年末まで毎日ブログを書くといいながら結局書かなかった。

特に今年は自主的に自分から自分の意思でブログを書いたことはほとんどなく人に催促されてから書いた。

このようにブログひとつをとってもやはり〆切り間際にやるのではなく、〆切りを過ぎたあとにやる、私という性格をよく表している。

私のブログは「私」に始まり「私」で終わる、終始一貫「私」を強調、私、私、私、私だーい好きっ!

私の自己中心的な性格をよく表している。

私はブログを書くとき別にこれといって書くことを決めてはいない。

書いているうちに次々とアイデアが浮かんでくる。

よって今日もだらだらと書いて行こう。


年末、ここ何日か仕事が休みになり何をしているかというと主に「引きこもり」である。

ずーっと部屋に閉じこもりウトシコしていた。

ああっ、なんという幸福感っ!

ああっ、すべてが億劫でなーんにもしたくない。

ずーっと寝ていたい。

布団から出たくない。

ずーっと寝ていたい。
のであるがだんだんと体とベッドの接地面が痛くなってくるのである。

私の体は巨大なので私自身の重さに耐え切れず、ベッドの接地面の私の部分が重力により私の体に圧迫されどんどんと押し潰されてゆく。

ああっ、私は私に押し潰されそうだ。

ああっ、私がブラックホールになってゆく。

だから、本当はずーっと寝ていたいのであるが、起きあがらなければ、頭も体もぼーっとしてきて使い物にならなくなるのである。

だからしかたなく起きる。

もちろん、あたりが暗くなってからである。
日の光が射している間はずーっと寝ている。

それが「引きこもり」の特徴だ。

起きても別に何するわけでもない。

ビデオ店に返却、またレンタル、そのあとコンビニ行ってジャンクフードを買って部屋に戻り、ポテチなどの高カロリー食で腹ごしらえを済ましたらまたウトシコするのである。

体を動かさないでお菓子ばかり食べているから、ああっ、太ってまた二重あごになってしまった。

ああっ、体が重い。

脇腹をつまむと毛穴からラードがでてきそうだ。

さて今年を振り返っての続きであるが、私もとうとう50才になってしまった。

昔なら死んでもいい年齢である。

実際、アフリカなどの貧しい国々では50才になる前にほとんどの人は死んでしまう。

ああっ、日本に生まれて超ラッキーっ!

隣の北〇〇に生まれなくて本当によかった。

ウトシコなんてできなかったぞ。

日本は最も平和な富んだ、いい国だねっ。

今はねっ。

日本は世界でも長寿国だが、私も血圧が高く本来なら脳卒中で今頃死んでたかもしれない、が、薬を飲んでるから大丈夫だ!

だから安心してアイスクリームが食べられるしコレステロールの薬飲んでるから卵食べ放題っ!何事もなかったら100才まで生きる予定だ。

だからいまがちょうど人生の折り返し地点。

これから人生の伴侶を見つけ子供も5人くらい欲しいなっ。

しかしいまだに血圧の薬を一度飲んだら止められないなどという都市伝説が横行しているようだが、全くのデマだ。

何の根拠もない。

医学があまり発達していない昔であれば、50才くらいになれば脳卒中、心筋梗塞で倒れる人が大勢いたはずだ。

つまり、そのくらいの年齢になると遺伝的に高血圧体質の人達は自然と血圧が高くなるのである。

つまり、薬を一度飲んだら止められない(薬停止で血圧悪化を引き起こす)のではなく、薬を止めたからその反動で血圧が上昇するのではなく飲もうが飲むまいが、どっちにしろその人はすでに血圧が高いのである。

薬は高血圧を治すのではなくただ抑えているだけだから、止めたらまたその高血圧が顔を覗かせるだけなのである。

だから必然的に継続せざるをえない。

根本的な治癒は食事などのライフスタイルを変えないとなかなか難しいであろう。

だから、安心して血圧の薬をおもいっきり飲んでくれ。

さばの油がおもいっきり凝縮された薬だそうだ。

さば好きのエスキモーには脳梗塞などないそうだ。

しかし、私の知り合いには定期検診を受けていない人が意外にも多い。

病気になるのが怖い臆病者の私には信じられない。

私はある人に「健康診断受けてれば、もし癌になっても早期発見で助かるじゃないかぁ。」って言ったら、その人は「統計的に検診受けても、受けなくても、癌になって死ぬ確立は同じだ!この大馬鹿野郎っ!」と言い反した。

真偽のほどはさておいて、意外にも検診をうけない人は「病気になったらなったでしょうがない」という人が多くてこれにはビックリ!!

私には彼らの考え方の感覚がわからない。

そしてその中のある人たちは薬が必要なのに飲まないし、ある人は脳梗塞になり半身麻痺になってゆくのである。

話しはかわるが、昔の人の寿命は50才くらいだった。

幕末、明治維新の政変、革命主導者、主要登場人物たちはほとんど50才前に死んでいるのである。


そのことを考えると、政治主導者達も昔は三、四十代であった。

今は医学の発達で長生きできるが、毎日めがねと携帯をさがして、昨日の出来事が記憶にないふにゃ〇〇の私のことを考えるとやはり、国の政を司る人達は三、四十代くらいがちょうどよいのではないだろうか。

今、私は50才という年齢になり、初めて本来一番力が発揮できる年齢というものがわかった。

国会議員は50才で定年にすべきである

そのくらいの年齢になれば権力、人脈、地盤などはますます強固なものになって行くがそれが必ずしも国益には繋がらず、むしろ自らの権力維持を守ることにのみ心血を注ぎだすから害になるほうが大きいであろう。

私はいつも思うが年をとると人間角が取れて丸くなるということは豊富な人生経験から見識深く謙虚になるのではなく、ただ年をとり心身衰え抗うだけのエネルギー、パワーが無くなるだけなのである。

だから丸くなった時点で主導者的な立場にいる人達は退くべきなのである。

政権交代というシステムによる腐敗浄化は儒教色の濃い日本人には苦手であった。

それによる長年の一党独裁、野党の弱体化で本来の政党政治の意味はなくなり、どの政党も一緒くたになってしまい行政が立法を支配下におさめるという構図になりパワーバランスが崩れてしまった。

ああっ、もうこうなってしまっては手がつけられない。

行くところまで行くしかないであろう。


また話しはかわるが、私はいままで人から実年齢より10才も年上に見られたり、その反対に年より10才も若くみられたりする。

実に様々な年齢に見られ滅多に実年齢に見られたことはない。

今はさすがにこの年になって割と年相応老に、弱冠年上に見られるようになってきたが、二十歳から四十くらいまでの年齢の変動が外見的にあまりかわらない成人期は私に対する推測年齢の幅が30才くらいはあった。

私は不思議であった。
なぜ人によって私はものすごく、年上に見られたり、年下に見られりするのであろうか。
普通は年上なら年上、年下なら年下に見方がまとまるものだが。

そこで、私なりに分析してみた。

いくつかの理由が考えられた。

一番の理由は私はアンチエイジングには一切興味がない。

また年相応などということも考えたことがない。

つまり自分のなかで自分の年をあまり意識していなかったのである。

だから、逆にいえば、年寄りになりえたし、子供にもなりえたのである。

これは性格上、職業上一般的社会人より社会通念がないことも起因しているのではなかろうか。

年齢的な上下関係が希薄であることとはまた別な話しである。

わかりやすくいえば、若く見えると答えた人に対して私は無意識のうちに肯定的なポジティブな好意的なオーラを発散しているのであろうし、年齢よりずっと年上に見えると答えた人に対しては逆に否定的、ネガティブなオーラを発散しているのであろう。

であるからにして、ある三十代の人には「あなたは行動力があり生の喜びに満ち溢れている。てっきり私と同い年くらいだと思ってた」と言われ、またある六十代の人には「生きてるのか死んでるのかわからない。覇気がまったく感じられない。そんなに若いとは思わなかった、同い年くらいだと思ってた。」と言われるのである。


(つづく)
スポンサーサイト
2012.12.30 / Top↑
そうなのである。

年末までの一週間は「私の今年を振り返る」がテーマであった。

忘れていた。

ブログを書こうかなと思ったら例によって寝てしまった。

目覚めたらいま午前3時だ。

普通ならまた寝るのであるが、私もひげの真似して12月31日をもってブログを卒業するので書くことにする。

いま非常にいやな夢を見申した。

内容は要約すれば、私が魔女刈りにあい「私は魔女ではないっ!」と群集の前で弁明する。

断頭台に立つ私の必死の弁明を聞いた群集は一応納得する。

今度は私が「誰が魔女だと密告したのだ?」と群集に詰め寄る。

そしてその密告した人物とはっ?…

ああっ、いやな夢を見申した。

話しがそれた。

ああっ、今日はホワイトクリスマス

昨日はクリスマスイヴだったが私には毎年ただの普通の日だ。

昨日したことといえば、ビニールハウスでいもこしょいしてて小便がしたくなったので外に出て真っ白い新雪の上にハートマークを書こうと思ったら、小便の色が濃いピンク色でびっくりして「どこか体の具合でも悪いのかなあ?」と心配になったくらいだ。

また話しが脱線した。

ああっ、私は文章を簡潔に短く書けない。

いつもだらだらと長くなってしまう。

今年の一大イベントは11月始めに50歳になったことだ。

(ああっ、ついに私も50代っ!)

私は誕生日の朝目覚めたら50歳を記念して部屋で敦盛を舞った。

「人間50年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり…」

そしてそのあとまた布団に潜りこみ好例の儀式として〇〇〇りを行う。

あれ…?

…?

いくら扱いても立たないっ!!

私は愕然としたっ!!

私は扱き続ける!

たっ立たないっ!

体の背筋に戦慄が走るっ!

初めての体験だっ!

話しには聞いていたがこれがEDというものなのかっ?!!

これが50歳になるということなのかっ?!!
つい先程までは50代になってもなんの自覚もなかったが、あまりに衝撃的な50代デビューに一気に気持ちが老けていった。

(ああっ、なめていたあーっ!50になることをなめていたあーっ!!!)

私は焦りながらふにゃちんを扱き続けたが結局立たなかった。

私は非常に焦った。

パニック発作が起きそうになった。

目まぐるしく私の思考回路が変化する。

初めて感じたことだがEDにより性的快感損失、男としての威厳保持損失の悲しみより何より最優先に感じたことは「種の損失の悲しみ」であった。

(立たないということは射精しないということなのかあーっ?!!)

(立たないということもう精子が製造されないということなのかあーっ!)

(ということは俺にはもう子供はできないということなのかあーっ?!!)

(ということは俺の遺伝子も絶えるということなのかあーっ!)

(俺の子供もできなくなり未来永劫俺が消滅するということなのかあーっ?!!)

(どうしよう?このままもう立たなかったらどうしようっ?!!)

私は必死に扱き続けるが扱けば扱くほどこころなしか心棒が奥に引っ込んで行き、まるで反応がなく、性的興奮→勃起という伝達神経が麻痺し、(これが神経麻痺というものなのかあーっ!何も感じないぞーっ!立つ気配なんて微塵も感じられないぞーっ!性的興奮が無くなったぞーっ!)と恐怖の体験を味わった。


話しには聞いていたが、いざ私自身がこの焦燥感、ショックに襲われると、普段「もう50歳になったから子供なんて無理無理、もう老人になるから子供が成人になるまで死ぬかもしれないし子供がかわいそうだし経済的にも子育てにも自信ないし子供なんて作れないなあ」なんていってたのが、本能的な本当の心の叫びを知り、そんな考えはどこかに振っ飛んでしまった。

結局その日一日は立たなかったから、非常に焦りこの世の終わりと言わんばかり落ちこんだが、後に回復、現在まで至るが、もう視覚ではほとんど反応しなくなった。

ああっ、いま思えば、45歳までは立って立ってしょうがなかった。

硬度、反射率、そり、申し分なかった。

朝目覚めるといつも息子はすでに起きていて、私の顔が写るほどピカピカにテカり、髪をセットするのに鏡など必要なかった。

一日の三分の一は立っていた。

逆バイアグラの薬はないものなのかと余裕で冗談を言ってたものだった。

それが45を過ぎたあたりから硬度が急激に落ち、液が先端から離れなくなったとき初めてドピュッといってたのは海綿体の圧力が高かったからなんだなあと気づいた。

そしてその後5年間で著しく衰退していった。

不思議なことにその時期がなぜかバンドDr6加入時と重なるのである。

加入をきっかけにしてそれまでびんびんだったのが一気に衰退していったのである。

実は今回のEDが起きたのも思い当たるふしがある。

快感がなくなってきたのは放出する液と比例するのかもしれない。

液が極端に少なくなってきたので、少しためてやろうとそれまで毎日していた〇〇〇りをやめたのである。

そしたら性的欲求が高まるどころか逆に〇〇〇りという日常行為も別にしなくともいいなあと思うようになったのである。

そしたらEDになったから、若いときはまだしもこの年齢になると液がたまるどころか、性ホルモンも役目はもう終わったんだと勘違いし誤解し誤作動を起こし操作終了してしまったのかもしれない。

だから、いま私は快感は二の次にして作動永久停止にならないよう毎日必死な思いで〇〇〇りをしている。

ああっ、50歳になり〇〇〇りが暇つぶしのちんけな刹那的快楽どころか、明日の未来を担う唯一の希望をたくした崇高なる行為になろうとはっ!

ああっ、青春時代は思ったものだ。

私が50歳になったらどうしているであろうか?

社会的、経済的にも成功をおさめ、きれいな妻、かわいい子供たちに囲まれ、白い家の緑の芝生の上で友達を呼んでバーベキューでもしながら皆談笑、その横でロマンスグレーの紳士の私がロッキングチェアーにもたれてギターでも奏でているのかなあと想像したものだ。

ところが、現実はっ!ああっ、いまだに貧乏、独り身で積み重ねられたカップ麺器やスナック菓子袋、エロ本、ビデオ、脱ぎ散らかした衣類がところ狭しと散乱しホコリの層が堆積した汚い寒い寒いゴミ部屋で万年床の煎餅布団を耳元まで引き上げ、ハゲ頭が寒いから脱ぎ散らかした衣類の中からパンツを選び取り出し頭に被り、エロビを見ながら深刻な面持ちで寒さで鼻水を垂らしハアハア白い息をはきながら必死でふにゃ〇〇を扱いていようとはっ…。

誰が想像しえたであろうか?

(でも10代の頃の僕は、なんとなくうすうすはこうなるだろうなあと今の自分を想像してたよっ!)


(つづく)
2012.12.25 / Top↑
ビニールハウスで里芋こしょいしてたらカラオケボックスの誘い電話がきて、仕事が終わって行ってきていま家に帰ってきた。

今年初めてカラオケボックスに行った。

メンバーは10人くらい30代女性が中心であった。

カラオケボックスはここ10年くらい、一年に一回くらいしかいかない。

何曲か歌ったが、前は声が高くて歌えなかった歌が歌えるようになっていた。

例えばホテルカリフォルニアだ。

いままではキーが高すぎ喉が痛くなり途中で声が出なくなるのだが原曲キーで初めて最後まで歌えた。

ホテルカリフォルニアは聞くといい曲だが、自分が歌うとなると実につまらない曲なのだ。

延々と高音で同じメロディーの繰り返しで歌唱力がないと歌っている人にとっても聞いている人にとって拷問の曲となる。

それが我ながらある程度のレベルで歌いきれたのだ。

おそらく私の人生でいまが一番声が出ているのではなかろうか。

ギターでいえば1弦の10フレットの音まで非常に響く表声で声がでる。

では何故声が出るようになったのか?

答えは簡単だ。

ひげなしDr6バンド練習でひげの代わりに歌を歌うようになったからだ。

私は最初、このような結果になるとは思いもしなかった。

私にとってバンドDr6洋楽ハードロック練習曲はすべて音が高すぎるのである。

はっきりいって練習は喉に負担がかかり苦痛であった。

だから始めから本格的に歌えると思ってないから、ほとんどの曲はバンドの伴奏練習がやりやすくなるために歌のメロディーをフンフンと裏声で鼻歌まじりに口ずさんで入れていた程度であった。

これがまた苦しいのである。

やったことのある人ならわかると思うが一曲全部裏声で歌おうとすると途中で酸欠状態となり、意識が遠のいていく。

だから普通は生命の危険を感じ途中で歌うことを止めるのだが、私は(どうせ死ぬことはないと思うから一曲裏声で歌ってやろう)と思い、歌った。

歌い終えると苦しくて頭がボーッとしている。

それでも我慢して次から次に歌っていったらだんだん遠のく意識や苦しさが快感にかわり、一種のトランス状態に入っていったのである。

私は(これなら苦しくても耐えられるな)と確信し回数を重ねるごとに裏声時間を長くしていった。

そうしてあるとき気づいてみたら声が前より出るようになっていたのである。

声が出るようになったといっても別に前より高い音が出せるようになったという意味ではない。

やったことがある人ならわかると思うが延々と高音の曲を歌っていると途中で喉が閉まり苦しくて声がでなくなるのである。

それがある程度、前よりも長く歌えるようになったという意味だ。

本当にこれは思ってもみない結果であった。

歌唱中、酸欠状態で脳内麻薬が出てお花畑が見えてるくるから名付けてナチュラルハイトランス歌唱法(よい子の皆さんは真似しないように)

私はナチュラルハイトランス歌唱法の創始者になったのだ。

これが自信に繋がった。

私はいままで自分から洋楽ハードロックの歌のボーカルをやりたいなどと一度たりとも思ったことがなかった。

なぜなら私は声が低く声に人を引き付ける魅力がなく歌が下手だと思っていたからだ。

ところがトランス歌唱法により声がでるようになると野心が目覚めた。

そこでもっと上手く歌えるようになりたいと、いままでは全く練習してこなかったが、初めてバンヘイレンの曲を真剣に聴いた。

まずはボーカル、デビットリーロスの歌唱研究である。

まずは物まねしようと特徴をつかむため繰り返し彼の曲を聴いた。
彼の最大の特徴は部分的に歌の小節の終わりにみせる獣の咆哮(ほうこう)のようなシャウトである。

そして適当にいい加減にメロディーあたりを時には突拍子もない投げやりな語り口調で歌っているのだが、正統に歌えばメロディーラインの音程のキープは驚くほど正確である。

私の分析の結果、ハードロックのボーカリストは猫科の肉食獣の咆哮のようなシャウトが多い。

そこで私は明日のハードロックボーカリストのためのその1として、まずは肉を食べることにした。


次に歌の練習であるが、まずはできるだけ大きな声をださなければならない。

そんな場所はないから、必然的に車の中で歌うしかない。

そこで夜になるとシャウトしながら車を運転するのであるが、運転目的が場所から場所までの移動ではないので、気がついてみると五泉の街中あたりの同じ場所をぐるぐるぐるぐるゆっくりした速度で回っているのである。

私は車の中でひたすら「ギャオーッ!ギャオーッ!」と彪(ひょう)の叫び声をイメージして彪になりきり、できるだけ大きな声で叫び続ける。

もし、街中で「ギャオーッ!ギャオーッ!」という叫び声をあげながら肉食獣が敵を威嚇するような形相の顔をした不審者がのろのろ運転する車を見かけたら、それは私なので通報しないようよろしく頼む。


(つづく)


2012.12.24 / Top↑
ああっ、1時過ぎなのになぜこれからブログを書かなければ、ならないのだろうか?

おととい、寝てたらリーダーから夜中の1時半にブログ催促電話がかかってきた。

「師匠何してるんですか?こんな早い時間にもう寝てるんですか?お子ちゃまですか?ブログ書いてくださいよっ!何もったい振って書かないんですかーっ!」

そういわれたので、ムカついて年末まで毎日ブログを書いてやろうと奮い立ち(私の今年一年を振り返る)をテーマにしてやろうと思い最初は『今年を漢字一文字で例えたら“潮”…』とか書き始めたら、いつのまにか眠ってエーン(T0T)全部消えちゃったよーっ!


そして昨日、〇〇とプラネタリウム行って、そのあといつものたんぼ道で車止めて〇〇〇〇してお掃除〇〇〇してもらって、帰ってきたら夜中の1時でブログ書き始めて最初の出だしだけ保存してそのあとプラネタリウムで見た5000年前の星座標軸とストーンヘッジの謎、そこからインスパイアされたマヤ歴2012年…を絡めて考えてる途中なかなかまとまらず昨夜もエーン(T0T)寝ちゃって書いたの全部消えちゃったよーっ!

そして今夜こそはと、こうして書いているわけだが、年末は里芋こしょいで仕事に追われ忙しいなか、久しぶりに現在県外在住で新潟を訪れた知人から「友人宅でホームパーティーやってるからきてよ!」と電話が来て夜行ってきた。

秋葉山中腹で下界の夜景を見下ろすあずまやのある家でリタイア(定年退職)したまだ若い夫婦の家に知人が今日一泊するというので行ってきた。

多趣味の主人が自身スキューバダイビング水中銃でキャッチした石鯛、黒鯛の焼き魚、大きなサザエ、カキなどでもてなす。

こんな磯の香りがする魚介類は初めて食べた。

悠々自適な年金生活。

持久力スポーツが趣味の知人も最近リタイアしてこれから妻と趣味の悠々自適な海外旅行兼登山だそうだ。

ほかに英語教師をリタイアして悠々自適な年金生活を送るまだ若い女性とフィリピン日本人妻達も加え全部で七人。

共通の知り合いの中国系企業撤退が話題になり中国問題などについて語り合う。

ああっ、それにしても虚しいっ!

百姓の私は年金は国民年金だけだ。

半強制的に加入させられた農業者年金は10年くらい前にいきなり破綻した。

私にとってそれはリタイア即生活保護を意味する。

私みたいな貧乏独身百姓は当然蓄えなどあるはずもなく働けなくなったら、収入が途絶え、国民年金だけでは生活できず、二束三文の農地を売ったあとは、全財産を失い、路頭に迷う。

ああっ、それにしてもおかしい。

なぜ職業によって年金が違うんだ。

しかも年金受給額が違いすぎる。

多くかけてるから多くもらって当然だと言っているが、私は国からの負担、補助率、つまり税金のことを言っているのだ。

これはあきらかに職業差別である。

もし夫婦で公務員なら私とのもらえる(国民年金が破綻すればもらえない)年金差は10倍以上だ。

しかもリタイア後とリタイア前の年数がたいして変わらないほど長く生きるようになってきている。

こんなのおかし過ぎるだろうっ!

こんな憲法違反がおおやけにまかり通っていいものなのだろうか?

よく自営業者達の怒りが爆発して暴動が起きないものだ。

年金の一元化が叫ばれているが、政権交代しどうなるのだろうか?

自民党がダメだから民主党になったのに蓋を開けてみたら、尚更ダメだった。

だからほかに選択の余地がなく、また始めから期待していない自民になったのだが、前と同じならば、もう頼るべきものがなくなるではないか。

国民年金より生活保護受給額が圧倒的に多く貰えるなど、おかしいではないか。

しかも悲しいことに生活保護受給額が私の所得を上回る。

しかもいろんな特典まである。

だが、これがちっともおかしくないそうなのだ。

算定額は公務員の給料を基本にしているそうだ。

なるほど、そう考えるとちっともおかしくないな。


ホームパーティーが終わり、知人に再会を約束しフィリピーナ達を家まで送って行った。
彼女達は今はハッピーパーソンだが10数年前日本にやってきたが、最初の頃はホームシックで毎晩泣いていたそうである。

年金の話しになったときフィリピン国籍のままだと年金がもらえないからナショナリティー(国籍)変更しようなかと言っていた。

後部席に座っている彼女達に私は例によって歌を要求っ。(私は話す声に魅了された人には必ず歌わせる)

洋楽スローバラードをハモりながら歌う。

普通にうまい。

なぜ普通にうまい人達がおおやけに歌うことはなく、なんでもない極普通の人達がおおやけに歌うことがまかり通っているのであろうか?
2012.12.23 / Top↑
これから大晦日まで、今年を振り返ってみたいと思う。
2012.12.22 / Top↑
ああっ、感無量っ!

ああっ、長年の念願が叶い、ようやく社会教育関係団体のブログ執筆という重圧から解放され、(もうこれでブログともおさらばかぁっ、残りの人生は余暇をウトシコに専念できるぞぉ)と思っていたら携帯電話が鳴った。

ああっ、私は小心者だから電話が鳴るたびにドキっとする。

(一体誰からの電話なんだ?
俺には電話なんかかけてくる友達なんていないのに!

【※ただしある人物を除いては】

電話なんか滅多にかかってこないのにっ!

【※ただしある人物を除いては】

なんか不吉な予感がするぞっ!何なんだ!この胸騒ぎはっ?

【※ちなみにメールにいたってはTSUTAYAからしかこないぞ!携帯解約しようかなぁ】)

俺は恐る恐る受話器に耳をあてた。

「師匠っ!何やってるんですかぁ?早くブログ書いて下さいよーっ!」

ああっ、ある人物であった。

ああっ、はたしてこのままことがすんなりとフェードアウトしてくれるものなのかっ?ああっ、これからはウトシコしながら安寧のときをと謳歌できるのであろうかっ?とうすうすは懸念していたが、やはりことはこのまますんなりと終わるはずがなかったのだ!

「恐怖の呼出し音っ!13日の金曜日っ!ジェイソンッ!リターンッ!!」って感じかな。


しょうがない。

また書くか。

しかし、言っておくが、いままでブログで書いてことはすべてギャグでフィクションだ。

だから書いたことにはいっさい責任は持てない。

ようやく市教育関係ブログという足枷が取れた。

これからもすべてフィクションだから話し半分に聞いてくれ。


しかし、今日、雪で車が繋がった滑りやすい氷の道をトロトロと車間距離をとりながらポカポカと暖房のきいた車でウトウトしながら運転していたらいきなり後ろから耳をつんざく暴力的なとてつもない大音量がした。

それまで、言ってみれば平和な静けさの中で車を運転していた小心者の私は、いきなりのフェイント爆音で心臓がドッキーーンとし口から飛びでそうになり危うく心臓移動で死にかけた。

真後ろの選挙カーがいきなり選挙演説を始めたのであった。

鼓膜の振動がダイレクトに脳天を突き刺さすメガホンからの大音量のかん高い女の声っ!

ああっ、パニック障害の私は心臓がドキドキドキドキして苦しいっ!

思わず、車から降りて後ろの車のドアに蹴りを入れてやろうかと思った。

選挙演説車っ!

これは騒音犯罪である。

こんなチンドン屋まがいのものが先進国家で容認されて良いものなのか?

私は理解に苦しむ。

こんなものを使ってエレクションキャンペーンを行うなどギャグとしか思えない。

とにかく候補者の名前を連呼し、大衆迎合の公約を並べ立てひたすら媚びへつらう。

それほど民意が低いのか?

日本古来のしきたり、儀式、お祭り騒ぎ、と言ってしまえばそれまでだが、私には自分の節操のなさ、みっともなさをアピールしているとしか思えない。

こんなうるさいものはなくていい。


どうせここまできた官僚主義はくずせない。

なくていいものといえば参議院だ。


政党政治の二院制の無意味さは中学生でも知っている。

無意味なだけでなく害悪である。

どうせ、官僚主義だからしばらくはなくなりはしないだろう。

テレビの党首討論会でくだらないことばかり質問しないでどうせなら、各党首に個人的な見解でもいいから「参議院はいるかいらないか」二者択一で聞いてみたらどうであろうか?

必ず全員「参議院はいらない」と答えるはずだ。

そうすればその時点で各党首満場一致で参議院はいらないと廃止にならないまでもテレビを見ている国民には伝わるはずだ。

万が一、「参議院は必要だ」などという党首がいたなら、その人は全国民の前で自分は低脳であると暴露することになるから、その人の議員生命はおそらくその時点で終わりになるだろう。

たいへん良い質問であるが、テレビではこの質問はタブーであるはずだ。

いつも言っているように全員が断ち切れぬしがらみで繋がっていてグルなのだから。
2012.12.12 / Top↑
気がつけば今日から街角でいっせいにクリスマスソングが流れ始めた。

気がつけば前のブログから、はや10日もたっていた。

さすがにこれにたまりかねたわんこからブログ催促メールがきた。

いつもなら小虫のたわ言取るに足らずと無視するのであるが、今回わんこからガトーショコラ詰め合わせセットをもらった。

私は甘いものには目がない。

しかもおいしい。

言う通りに書くしかない。


この前のひげなしバンドDr6練習でモトリークルーのホームスイートホームをやったがわんこはキーボードがとてもうまかった。

それだけではなく気がつけばどの曲もキーボードがうまくなっていた。

驚きである。

継続は力なり

例えるなら、英会話を何年かずーっと習っていた人がたいして進歩しないなぁと思ってたら、あるときいきなり流暢に話せるようになったような驚きに似ている。

なお言っておくが、お菓子をもらったからわんこをほめたんであって、もっとくれたらブログ上でもっとほめるであろう。

しかし時が経つのが早い。

里芋の収穫も終わり、今は毎日、里芋出荷のためのいもこしょいをしている。

里芋の時期になると毎日いも味噌をご飯の上にかけて食べるが、これがうまい。

手前味噌になるが、いも味噌だけでご飯が何倍も食べれ、しかも毎日食べてもあきがこない。

ご飯の上にかけるとは納豆とかキムチとかと同じ感覚だが、納豆やキムチはほかにおかずを必要とするが、いも味噌はおかずが要らずいも味噌だけで食事が成立するから、これはものすごいことだ。

毎日食べてもあきない理由はひとえに里芋のおいしさにある。

もし全国の人々がいも味噌のおいしさを知ったならば、五泉里芋の需要は大幅に増え、五泉も活性化するのではなかろうかっ。

誰か、いも味噌宣伝普及活動よろしく頼む。


さて話は変わるが、この日曜日に村上市にあるライブハウスに行ってきた。

ポルチオがギターを弾くストーンズのコピーバンドが出るから、コーラスを頼まれたのである。

村上地元のバンド演奏もあったりしてライブハウスは楽しかった。

楽しかったが、不思議な出来事もあった。

それは何かというとトイレである。

みんなアルコールを飲んでいるから、ひとつしかないトイレは私がノックするといつも誰かが入っていた。

人が出てきたから、入ろうと思ったらポルチオに先をこされた。

しかたがないからまた席に戻ってポルチオがトイレから出てくるのをチラッ、チラッと横目で見ながら待っていたらなんとハセピョンがトイレのドアを開けて中に入って行ったのである。

(あれ?おかしいなぁ?なぜ人が入っているトイレにハセピョンが入れたんだ?知らない間にポルチオは出たのかなぁ?それになかなか出てこないぞっ。中に二人は一緒にいるのかなぁっ?)

しばらくして何くわぬ顔でポルチオが出てきた。

(あれおかしいぞ?中にハセピョンがいるはずだ!)

案の定、しばらくしてハセピョンが出てきた。

(おかしいぞ?これはイリュージョンマジックかっ?それにこのことを知っているのはどうやら私のほかにはいないらしい。ああっ、この摩訶不思議な出来事を俺の頭の中でどう処理すればいいんだーっ!)

本人達に聞こうか聞くまいかさんざん悩んだあげく、結局言えずじまいに終わった。


もう遅くなったのでそろそろ帰ろうと思っていたら、私達ストーンズコピーバンドグループが座っている席に、ある地元バンドのボーカルだという女の子が私達のサインを求めてきた。

サインとはまるで芸能人になったような気分だ。

バンドメンバーはみんな浮かれあがり一人一人照れながら慣れない感じで自分の名前を書いていった。

みんな色紙の隅っこのほうに小さく自分の名前を書いていったので最後のほうは色紙の真ん中の部分のスペースが大きく空いていた。

最後にポルチオの番がやってきたので彼はそのど真ん中のあいた部分に大きく自分の名前を書いた。

私は我が目を疑った。

色紙のど真ん中には大きく「ポルチオ」と書かれてあった。

嘘のような本当の話しだ。



(おわり)


2012.12.01 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。