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年末まで毎日ブログを書くといいながら結局書かなかった。

特に今年は自主的に自分から自分の意思でブログを書いたことはほとんどなく人に催促されてから書いた。

このようにブログひとつをとってもやはり〆切り間際にやるのではなく、〆切りを過ぎたあとにやる、私という性格をよく表している。

私のブログは「私」に始まり「私」で終わる、終始一貫「私」を強調、私、私、私、私だーい好きっ!

私の自己中心的な性格をよく表している。

私はブログを書くとき別にこれといって書くことを決めてはいない。

書いているうちに次々とアイデアが浮かんでくる。

よって今日もだらだらと書いて行こう。


年末、ここ何日か仕事が休みになり何をしているかというと主に「引きこもり」である。

ずーっと部屋に閉じこもりウトシコしていた。

ああっ、なんという幸福感っ!

ああっ、すべてが億劫でなーんにもしたくない。

ずーっと寝ていたい。

布団から出たくない。

ずーっと寝ていたい。
のであるがだんだんと体とベッドの接地面が痛くなってくるのである。

私の体は巨大なので私自身の重さに耐え切れず、ベッドの接地面の私の部分が重力により私の体に圧迫されどんどんと押し潰されてゆく。

ああっ、私は私に押し潰されそうだ。

ああっ、私がブラックホールになってゆく。

だから、本当はずーっと寝ていたいのであるが、起きあがらなければ、頭も体もぼーっとしてきて使い物にならなくなるのである。

だからしかたなく起きる。

もちろん、あたりが暗くなってからである。
日の光が射している間はずーっと寝ている。

それが「引きこもり」の特徴だ。

起きても別に何するわけでもない。

ビデオ店に返却、またレンタル、そのあとコンビニ行ってジャンクフードを買って部屋に戻り、ポテチなどの高カロリー食で腹ごしらえを済ましたらまたウトシコするのである。

体を動かさないでお菓子ばかり食べているから、ああっ、太ってまた二重あごになってしまった。

ああっ、体が重い。

脇腹をつまむと毛穴からラードがでてきそうだ。

さて今年を振り返っての続きであるが、私もとうとう50才になってしまった。

昔なら死んでもいい年齢である。

実際、アフリカなどの貧しい国々では50才になる前にほとんどの人は死んでしまう。

ああっ、日本に生まれて超ラッキーっ!

隣の北〇〇に生まれなくて本当によかった。

ウトシコなんてできなかったぞ。

日本は最も平和な富んだ、いい国だねっ。

今はねっ。

日本は世界でも長寿国だが、私も血圧が高く本来なら脳卒中で今頃死んでたかもしれない、が、薬を飲んでるから大丈夫だ!

だから安心してアイスクリームが食べられるしコレステロールの薬飲んでるから卵食べ放題っ!何事もなかったら100才まで生きる予定だ。

だからいまがちょうど人生の折り返し地点。

これから人生の伴侶を見つけ子供も5人くらい欲しいなっ。

しかしいまだに血圧の薬を一度飲んだら止められないなどという都市伝説が横行しているようだが、全くのデマだ。

何の根拠もない。

医学があまり発達していない昔であれば、50才くらいになれば脳卒中、心筋梗塞で倒れる人が大勢いたはずだ。

つまり、そのくらいの年齢になると遺伝的に高血圧体質の人達は自然と血圧が高くなるのである。

つまり、薬を一度飲んだら止められない(薬停止で血圧悪化を引き起こす)のではなく、薬を止めたからその反動で血圧が上昇するのではなく飲もうが飲むまいが、どっちにしろその人はすでに血圧が高いのである。

薬は高血圧を治すのではなくただ抑えているだけだから、止めたらまたその高血圧が顔を覗かせるだけなのである。

だから必然的に継続せざるをえない。

根本的な治癒は食事などのライフスタイルを変えないとなかなか難しいであろう。

だから、安心して血圧の薬をおもいっきり飲んでくれ。

さばの油がおもいっきり凝縮された薬だそうだ。

さば好きのエスキモーには脳梗塞などないそうだ。

しかし、私の知り合いには定期検診を受けていない人が意外にも多い。

病気になるのが怖い臆病者の私には信じられない。

私はある人に「健康診断受けてれば、もし癌になっても早期発見で助かるじゃないかぁ。」って言ったら、その人は「統計的に検診受けても、受けなくても、癌になって死ぬ確立は同じだ!この大馬鹿野郎っ!」と言い反した。

真偽のほどはさておいて、意外にも検診をうけない人は「病気になったらなったでしょうがない」という人が多くてこれにはビックリ!!

私には彼らの考え方の感覚がわからない。

そしてその中のある人たちは薬が必要なのに飲まないし、ある人は脳梗塞になり半身麻痺になってゆくのである。

話しはかわるが、昔の人の寿命は50才くらいだった。

幕末、明治維新の政変、革命主導者、主要登場人物たちはほとんど50才前に死んでいるのである。


そのことを考えると、政治主導者達も昔は三、四十代であった。

今は医学の発達で長生きできるが、毎日めがねと携帯をさがして、昨日の出来事が記憶にないふにゃ〇〇の私のことを考えるとやはり、国の政を司る人達は三、四十代くらいがちょうどよいのではないだろうか。

今、私は50才という年齢になり、初めて本来一番力が発揮できる年齢というものがわかった。

国会議員は50才で定年にすべきである

そのくらいの年齢になれば権力、人脈、地盤などはますます強固なものになって行くがそれが必ずしも国益には繋がらず、むしろ自らの権力維持を守ることにのみ心血を注ぎだすから害になるほうが大きいであろう。

私はいつも思うが年をとると人間角が取れて丸くなるということは豊富な人生経験から見識深く謙虚になるのではなく、ただ年をとり心身衰え抗うだけのエネルギー、パワーが無くなるだけなのである。

だから丸くなった時点で主導者的な立場にいる人達は退くべきなのである。

政権交代というシステムによる腐敗浄化は儒教色の濃い日本人には苦手であった。

それによる長年の一党独裁、野党の弱体化で本来の政党政治の意味はなくなり、どの政党も一緒くたになってしまい行政が立法を支配下におさめるという構図になりパワーバランスが崩れてしまった。

ああっ、もうこうなってしまっては手がつけられない。

行くところまで行くしかないであろう。


また話しはかわるが、私はいままで人から実年齢より10才も年上に見られたり、その反対に年より10才も若くみられたりする。

実に様々な年齢に見られ滅多に実年齢に見られたことはない。

今はさすがにこの年になって割と年相応老に、弱冠年上に見られるようになってきたが、二十歳から四十くらいまでの年齢の変動が外見的にあまりかわらない成人期は私に対する推測年齢の幅が30才くらいはあった。

私は不思議であった。
なぜ人によって私はものすごく、年上に見られたり、年下に見られりするのであろうか。
普通は年上なら年上、年下なら年下に見方がまとまるものだが。

そこで、私なりに分析してみた。

いくつかの理由が考えられた。

一番の理由は私はアンチエイジングには一切興味がない。

また年相応などということも考えたことがない。

つまり自分のなかで自分の年をあまり意識していなかったのである。

だから、逆にいえば、年寄りになりえたし、子供にもなりえたのである。

これは性格上、職業上一般的社会人より社会通念がないことも起因しているのではなかろうか。

年齢的な上下関係が希薄であることとはまた別な話しである。

わかりやすくいえば、若く見えると答えた人に対して私は無意識のうちに肯定的なポジティブな好意的なオーラを発散しているのであろうし、年齢よりずっと年上に見えると答えた人に対しては逆に否定的、ネガティブなオーラを発散しているのであろう。

であるからにして、ある三十代の人には「あなたは行動力があり生の喜びに満ち溢れている。てっきり私と同い年くらいだと思ってた」と言われ、またある六十代の人には「生きてるのか死んでるのかわからない。覇気がまったく感じられない。そんなに若いとは思わなかった、同い年くらいだと思ってた。」と言われるのである。


(つづく)
2012.12.30 / Top↑
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